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関わってくれている子どもたちや、その親御さんへ向けて発信しています。健やかな育ちを願って!

手指の消毒は必要なのか?

Facebookでとても素敵な投稿を見つけた。

岡本よりたかさんの『ばい菌』という文章。

Facebookの岡本よりたかさんの投稿より

岡本よりたかさんは、郡上で自然農をされている人。

人々に自給自足的な暮らしを勧めて、肥料も農薬も使わない自然農の方法を全国回って伝えるという活動をされている。

「種の学校」という野菜の種を保存する活動もされている。

私は8年くらい前に知って、その種の学校の設立に少しばかりの支援をしたことがある。
5年前の今頃、名古屋で行われた自然農のセミナー(座学)にも参加したことがある。

本も何冊か執筆されているし、考え方や行動力などには本当に敬意をもって、ずっと(主にフェイスブックで)追いかけている。(昨年秋の大人の文化祭では八ヶ岳で実際にお話を聴いてきた)

Facebookで投稿される文章がまたとても素敵で、いつもなるほど~と納得したり、癒されたり、励まされたりする。

今回の『ばい菌』という文章にもほろりとし、これはみんなにシェアしたいと思った。

 

「バイ菌」
またまた古い話になるのだけど、僕の畑に小さなお子さんを連れた若いご夫婦が訪れた。
その頃僕は、ミニトマト摘みと称して、来園者に小さな籠を持ってもらい、かごに入るだけのトマトを持って帰ってもらう商売をしていた。
そのご夫婦は、そのミニトマト摘みに来られたのである。
その日訪れたのは、子どもを連れたご夫婦が二組と母親と子どもで来られた人が二組いた。
子どもたちの年齢は近く、お互い見ず知らずの関係だったが、あっという間に、古くからの仲間のように畑で遊び始めた。
しかし、前述の若いご夫婦の子どもだけは、その遊びに交わらない。よく見ると、夏なのに長ズボンに靴下を履き、スニーカーの紐もしっかりと縛ってある。
その様子を見ていたら、ご夫婦の母親の方が僕の視線に気づき、こう言った。
潔癖症なんです。どこに行っても靴下は絶対に脱がないんです。自宅でもあのまんまなんですよ、可笑しいでしょ?」
母親は少し残念そうにため息を吐いている。
「畑に来れば少しは変わるかなと思って…」
よく聞く話でもある。特に都会の子どもによく見られる現象らしいことは、僕には分かっていた。だからこう答えた。
「バイ菌という言葉、本来どう意味か知ってますか?」
「…分からないです。汚いものというイメージがありますけど…」
ちょうどその時、彼女の子どもが戻って来たので、こう話しかけた。
「バイ菌って知ってる?汚いものだと思う?」
すると子どもはこう答えた。
「うん、汚い」
「そうか。でもね、バイ菌って黴(カビ)のことなんだよ。黴の菌と書いて、バイ菌って読むんだよ。」
「ふうーん」
「ボクは醤油は好き?」
「…うん」
「醤油を作るのは、実はカビなんだよ。味噌もカビが作るんだよ。お酢味醂も納豆もチーズもみんなカビ。
バイ菌のバイはカビのこと。そして菌はきのこのこと。だからバイ菌って醤油や味噌を作る菌やきのこのことを言うんだよ。
僕らはこのカビ菌が作るものでご飯を食べてる。僕らを健康にするのもカビ菌。菌は僕らの身体をも作る凄い奴なんだよ。だから、僕は菌たちのことを神様って呼んでる。
つまり、バイ菌は神様のこと。それがいつの日にか汚いものだと思われるようになった。でもそれは間違い。僕らは良い菌だろうが、悪い菌だろうが、菌がいるからこそ生きているんだ。
だから、バイ菌は必要だし、大事なもの。絶対に嫌っちゃいけないと、僕は思うよ」
それを聞くと、その子は「ふうーん、そうなんだ」と一言言ったまま、しばらく黙り込んでしまった。
僕は、長々とバイ菌について子どもに話してしまったことを少し後悔したが、その後驚いたことに、その子は靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ出した。
母親が止めに入ろうしたが、僕それを遮った。
すると、その子はテンションが上がったのか、そのまま裸足で畑の中に入って行き、他の子どもたちと同じようにそこら中を走り出したのである。
僕の話を聞いたからなのか、他の子たちが楽しそうに遊んでいたからかなのは正直分からないが、その子は裸足で畑中を駆け巡ったのである。
その子どもの姿を見た母親は急に号泣しだした。よほど嬉しかったのだろう。
「ここは無農薬だし、金属もビニールも使ってないので、心配しなくても大丈夫ですよ」
と僕は母親に伝えた。
母親は頷きながら、すごく嬉しそうな笑顔を僕に見せてくれた。
「ありがとうございます」
そう言うのが精一杯な感じだった。よほど感動したのだろう。
その後、その子の潔癖症が治ったかとうかは残念なから分からないのだが、ただ、あの時の出来事は、僕にとっても無肥料無農薬栽培をやっていて良かったと思えた最初の出来事だった。
そんなことをふと思い出したので、つい書いてみた。長文に付き合ってくれてありがとう。ではおやすみなさい。

 

岡本さんのfacebookはこちら。公開記事が多いから、アカウント持ってなくても見られるはず。

www.facebook.com

 

コロナ感染症が始まって、毎日何度となく手指の消毒をするようになった。

そのことで、私たちはとても大事なものを失っていると感じている。

塾生の中には、学校で有無を言わせずアルコール消毒をさせられ、手指がずっと荒れたままという子がいた。
アルコールが合わない体質の子がいるのにね。

私はコロナが始まって消毒をしなきゃいけなくなったとき、せめてアルコールではないものを使いたい、子どもたちにも使わせたいと思って、ネットで探して取り寄せた。

 

4年間で習慣になったのだろう。
今でもお店に入る時や出るときに、せっせと消毒をしている人がいる。

本当にそれ、必要でしょうか?

 

中津川市市長選を考える 続編

いよいよ明後日に迫った市長選。

どちらが当選するのか、私にはぜんぜん予想がつかない状況。

いや、分かっている人もいるのだろうか?

この前の投稿では、なるべく公平に書いたつもりだけれど、今回は私の考えも書いてみたいと思う。

 

9日と11日に小栗氏の話を聴いた。チラシももらった。枚数が限られているので全員には配布されず、代表で私がいただいた。

それで、裏面に書いてあることをほかの皆さんにも伝えるためにも、ここに書いてみたい。

伸 ひとづくり

給食費無料化による家計費への負担軽減
学童保育の充実、幼児預かり保育の充実
③子供の安全を守るためのICT導入
生涯学習(大人の学び)の推進
不登校、いじめなどの対策、学校など適正化における学校・教育委員会との連携
⑥分野別エキスパート人材の育成と確保
⑦学びの多様化推進、グローバル教育の充実
⑧保育士、教職員など、勤務環境の向上

進 地域づくり

①地域自治会、市民、業種団体との対話集会の定期開催と連携
②中津川斎場老朽化問題の早急な解決
③リニア駅を核とした「安らぎと最先端のハイブリッド 森のまちづくり」計画の策定
④DX・ICTを活用し、多言語対応した観光戦略の構築
⑤働き手不足対策、移住促進、社員移住も含む企業誘致計画の策定
中心市街地活性化 シン・宿場町計画の策定
恵那市・東農地区・県・国と連携した地域づくり戦略の強化
伝統芸能、芸術、音楽、スポーツ、Eスポーツなどへの活動支援

心 安心づくり
①地元医師会との連携強化、坂下診療所の課題解決
②高齢者向け公共交通支援、コミュニティバス計画の策定
③人生100年時代を幸福に過ごす取り組み
ひとり親家庭、ヤングケアラー、働くママさん総合支援
⑤生活弱者の就労支援、障碍者への総合支援の充実
⑥地域の自主防災組織との連携強化、地震水害などの災害対策強化
⑦スピード感を持つ活力ある市役所つくり、行政ワンストップサービス体制の確立

 

 

小栗氏の話は、この公約の中から2つか3つを挙げていた。

一番目に挙げたのが、子育て支援の充実だった。
給食費無償化、学童保育の充実、幼児の一次預かり保育の充実
(給食については、無償化だけでなく、できればオーガニック給食を取り入れてほしいと思う)
オーガニック給食の推進はいまや全国レベルで動いていること。
ぜひその流れに乗っていただきたい。

二番目が地域づくり。

特に市民の声を吸い上げる仕組みとして、定期的に対話集会を行うとのこと。
(市民の声、自治会の声、企業の声を市政に反映させたいというのは、望ましいと感じる。形だけの集会でなく、本音で話す会をぜひ開催していただきたい)

リニアの駅ができるのはビッグチャンスだが、そこだけに集中するのでなく、全市の総合的な町づくりを考えていかなければいけない。

これから12年間の総合基本計画を作るそうだ。

目先だけでなく、12年後以降を目指して、今年からやっていきたいと。

 

はっきり言って、私はリニア新幹線には反対の立場だ。
リモート化した今、リニアが必要なのだろうか。
能登半島地震であれだけの被害が出た。海岸沿いは地面が隆起した。断層が動いたという情報もある。

中央アルプスの中をトンネルにして、今後大きな地震があったとき、果たして何も被害が出ないと保証できるのだろうか?
巨額の資金を使ってまで作る必要があると私には思えない。

それでも駅ができたとして、駅周辺の賑わいが生まれたとしても、恵北地区、恵南地区にまで良い影響が及ぶのだろうか?

恵北地区の人々は、けっこう冷めた目で見ている。

青山氏は、リニアによる町づくりを一番に挙げている。
小栗氏は公約では一番目ではない。
子育て支援を一番に挙げていることが、私としては託したい思いがわいてくる。

 

今まで市政にはあまり関心を持ってこなかった。
産業廃棄物施設問題の時も、太陽光発電問題の時も、市は住民の味方にはなってくれなかった。
だから、行政には期待は持てないと思ってきた。

でも、憲法を学んだ今、私たち住民が主人公なのだとわかり、市政に関心を持ち、協力もしつつ、要望やダメだしなどもして、良い意味で見張っていかなくてはいけないと思うようになった。

以前、「オンブズマン新聞」というのを出している市議会議員がいた。
あの頃は、その新聞を読んで友だちと話をすることもあった。

ここ数年、泉大津氏の市長や、明石市の市長の発信に関心を持ってきた。
最近では安芸高田氏の石丸市長が話題になっている。

中津川市もぜひSNSなども使って、発信してほしいと思う。
そして私たち住民も、行政任せにするのでなく、一緒に街を作っていくという姿勢でやっていかければ、良い町をつくることはできないだろう。

不断の努力(憲法12条)をすることが必要になる。

中津川市市長選を考える

2024年1月14日に中津川市の市長選がある。

現職の青山せつじ氏VS小栗ひとし氏の一騎打ちとなる。

私はどちらが当選するにせよ、まずは市民みんなが関心を持ち、投票に行ってほしいと思っている。

私が知り得た情報をここに書くことで、少しでも投票行動に繋がればと願って書くことにする。

本当は年始休みに書こうと思っていたのに、家族とのんびり過ごしてしまって遅くなってしまった。

昨日公示されて、投票日までに一週間あるので、少しでも伝わればと思う。

 

新聞の岐阜版で掲載されていたので、お二人のお顔とかは知っている人がいると思うのだけど、入手したリーフレットを撮影したので、それを使ってスライドを作成してみた。

まずはお二人の公約を比較してみる。

これだけ見ると、青山氏の方が分かり易いかなあ。

小栗氏のほうは抽象的かな?

 

次は、プロフィール(来歴)

 

細かくて読めないよね(笑)

ここで現職青山さんのことを少し書いてみよう。

12年前に、中津川市の中心に図書館を建てるという件について大きな問題になった。

それまでの大山市長が計画した図書館建設に対して、賛成派と反対派でクッキリ分かれてしまった。

当時の私には、大山市長が強引に推し進めたという印象があった。その経緯などがよく分からなかったというのもある。

平成の大合併以来の旧中津川市と郡部との分断みたいなものが、そこに現れてしまったように思った。

合併前の恵那郡は恵北地区と恵南地区があり、その間に中津川市があった。
小さな町では財政的に厳しいということで、恵那郡中津川市に吸収合併をした。
合併した後で、しまった!と思う部分もあったが、当時は合併ありきだった。
今になって、独立したいというような話も聞いたりする。

話がちょっと逸れてしまったので戻そう。

12年前の選挙は、現職大山氏と、新人青山氏の一騎打ち。
争点がとてもハッキリしていたから、多くの人がどっち側なのかをハッキリさせることができ、投票率も70%くらいになった。

そして、反対派の青山氏が当選し、図書館建設は白紙に戻った。

青山氏にとって2期目は、27歳という超若い新人と、もう一人40歳の新人で闘った。

この27歳の新人というのは福岡中学の卒業生なので、私の周りではとても盛り上がった。しかも、青山氏と同じ地区からの出馬。

若い人だから応援したいという思いもあったが、聞こえてくる話を聞くと、もし市長になったとしても上手くやっていけるのか非常に不安を覚えた。

27歳の新人は12000票(青山氏の半分くらい)を得票したから、すごく健闘したと思う。

3期目は、共産党との一騎打ちだった。私の記憶にはまるでなかったので、多くの人があまり関心を持たなかったと思う。投票率も40%ほどだった。

実は今回の選挙には、青山氏はもう引退するという噂を耳にしていた。
もう12年もやったんだし、引退してもおかしくない。私は納得していた。

昨年10月にある場所で小栗氏を紹介された。次期市長選に出馬する予定だとのこと。

「応援してください」と言われたけれど、まるで知らない人なので応援するもなにもない。

そこで「語る会」をしましょうということになり、11月9日と28日の2回、「小栗ひとしと語る会」というのを開催した。

その過程で、青山氏が4期目に挑戦するということが分かった。

私はどちらの情報も知った上で考えたいと思い、青山氏を応援している人にも話を聞いたり、元市議さんにも話を聞いたりした。

私自身の考えもあるけれど、ここでは公平に書いてみたいと思っている。

 

現市長がどんなことをやってきて、今どんな公約を掲げているのか?

細かくて読めないかもしれないので、一番目に書いてあることをピックアップしてみた。

新聞折り込みのパンフに中津川市の財政が載っていた。

 

一方、小栗氏の公約はこちら。
最初に抽象的だと書いたけれど、こちらに少し詳しく書いてある。

小栗氏は、インスタやYouTubeなどのSNSを使って発信をしている。

www.youtube.com

青山氏は何かしているのか? 誰か知っている人、教えてください。

検索してみたら、こちらが見つかったのでリンクを貼っておく。

naniwoossharuusagisan.com

<追記>

フェイスブックで青山氏の後援会ページがあることを教えてもらった。

www.facebook.com

 

とにかく、選挙に行こう!投票しよう!

どっちが市長になっても、変わらないでしょ?という声も聞こえるけど、投票行動をしなかったら益々変わらないでしょ。

今回能登半島地震の被害報道に触れて、市政に求めたいことは、災害が起きた時に備えての防災や備蓄ではないかと思う。

そういうことを迅速にやってくれる人を選びたい。

妄想ではない!日本では報道されないこと

【2024年は世界経済が大きく変わる年になる】
 
Facebookでフォローしている、佐藤シューちひろさんの投稿を転記する
 
 
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12月6日に、ロシア大統領プーチンは、そうそうたる代表団とともに大統領専用機でアラブ首長国連邦サウジアラビアに到着して、これ以上ないというくらいの歓迎を受けていた。このことは、今年一年で、どれだけ世界が変わったのかを、はっきりと示しているようだ。
西側のメディアは、プーチンが逮捕されるのかとかいうようなことを書いていただけのようだ。3月に国際刑事裁判所から、言いがかりのような逮捕状が出て以来、プーチン大統領はほとんど国外に出ていなかった。南アフリカで行われたBRICSサミットにも、インドで行われたG20にも、プーチン大統領ではなく、ラブロフ外相が出席していた。それは、逮捕状のことで、主催国に迷惑をかけたくないからという理由でだった。プーチン大統領を逮捕するのを拒否したといって、主催国が西側諸国に嫌がらせを受けることになるからだ。
 しかし、アラブ首長国連邦サウジアラビアも、もはや西側諸国の嫌がらせを恐れてはいないようだ。4機のロシア空軍機に護衛されて、プーチンが乗った飛行機がアブダビに到着し、装甲つきのリムジンに乗って、大統領官邸の宮殿にゆっくりと向かう間、道の両脇には、馬とラクダの部隊がずらりと並んで、剣を掲げて敬礼し、空には空軍機チームがロシア国旗の三色の煙を描いていた。宮殿に着くと、正装した人々が並ぶ中で、ロシア国歌が演奏された。
ウクライナの紛争へロシアが軍事介入を始めてから、グローバルサウスの国々は、西側諸国の政治家にあからさまにそっけない対応をしている。今回のプーチン訪問は、それとはまったく正反対だ。イスラエルパレスチナの紛争のことで、サウジアラビアを訪問したアメリカ外相ブリンケンは、サウジアラビア首相のサルマン王子に、一晩中待ちぼうけを食わされた。ドイツ大統領シュタインマイヤーは、カタールを訪問したとき、空港で出迎えがなく、半時間も飛行機の出口で待たされていた。インドで行われたG20では、次々と空港に降り立つ各国の首脳たちが出迎えを受けているのに、ドイツ外相が降り立ったときには、誰も出迎えがなく、ドイツ大使がかろうじてギリギリで出迎えたばかりだった。こうしたことは、偶然などではない。グローバルサウスは、もう西側諸国を相手にしてはいないのだ。
アメリカが、主に石油などの地下資源を搾取する目的で、アラブ諸国と関わっているのに対して、ロシアはソ連の時代から、独立支援をしてきた。ロシアには地下資源は十分あるし、領土も必要ない。しかし、アメリカが覇権主義的に他の国々に介入して、傀儡政権を作り、ロシアと敵対させようとするので、ロシアにとっては、他の国々が自立しているほど、安定が保てるのだ。だから、アメリカの覇権主義に対抗して、アフリカやアラブ、アジアの国々を支援して、多極的な世界を作ろうとしてきた。これは、ソ連の時代からずっと続いていたことだった。
アフリカやアラブ、アジアの国々は、アメリカににらまれたら、どんな攻撃を受けるかわからないというので、これまでは多くの場合、アメリカに従ってきた。ところが、ウクライナでのロシアの軍事介入が始まったときから、それが変わってきたのだ。アメリカ大統領バイデンは、すぐさまサウジアラビアに出かけて、石油産出量を増やすように言ったけれど、サウジアラビアはこれを拒否した。そればかりではなく、石油を中国元で取引しさえした。ロシアに対して、世界中に経済制裁をかけさせて、ロシアを経済的に孤立させようというアメリカの試みは、これで挫折したようなものだった。
アメリカはこれまで、サウジアラビアに石油産出量を上げ下げさせることで、原油価格を操作し、世界経済を支配してきたのだ。ソ連が崩壊したのも、軍備競争で負債が増大したときに、石油産出量を増やされて、原油の値段が暴落させられたことが大きな原因だった。それでソ連は借金が返せなくなり、いわば国を借金のカタに取られたようなものだった。
ところが、今度はサウジアラビアアメリカの言うなりにはならなかった。パレスチナイスラエルの紛争が始まったときには、ブリンケン外相を一晩待たせたのに、プーチン大統領がリアドに来たときは、サルマン首相が自ら出迎えに来て、まるで古くからの朋友のような親しさで、握手を交わしていた。これは、アラブはもうアメリカの言うなりにはならないという、はっきりした意思表示だと言える。
プーチンと一緒にアラブを訪問したロシア代表団は、ラブロフ外相のほかに、ロシア銀行のナビウリナ、チェチェン共和国のカディロフ長官、ロスコスモスやロスアトムの代表といった、そうそうたるメンバーだった。このメンバーからして、金融やエネルギー政策が会談の大きなテーマだったのだろう。その中でも、石油産出量を下げて原油価格を上げるという取り決めがなされたということが報道されていた。
12月6日にアラブ首長国連邦アブダビに着いて、それからサウジアラビアのリアドを訪問し、7日にはもうモスクワに戻って、イランのライシ大統領と会談していた。アラブ首長国連邦サウジアラビア、イランの3ヶ国は、来年1月からBRICSに正式に加盟する。この3ヶ国とロシアを合わせたら、世界の石油産出量のかなりの部分を占めることになるそうだ。これはつまり、アメリカはもう石油の値段を自分の都合で操作することができなくなるということを示している。
アメリカ中心の一極支配はもう崩壊して、多極化の世界が生まれたということを、昨年春から、ロシアは、繰り返し言ってきたけれど、今回のアラブ訪問は、世界経済が根本的に転換することを確実にしたようだ。アラブ首長国連邦サウジアラビア、イランと、アラブ3ヶ国の首脳と矢継ぎ早に会談したあとで、8日に始まった経済フォーラム、「ロシアが呼んでいる!」でスピーチしたプーチン大統領は、グローバル経済のシステムが、不可逆的に根本的な変化を遂げたということを言っていた。これまでは、西側エリートが、他の国々を植民地として搾取していて、それがグローバル経済と呼ばれてきた。そして、西側エリートは、他の国々が成長しないように、制裁をかけたり、政治を混乱させたり、紛争を煽動したりしてきたのだ。第二次世界大戦後に、国連という民主的に国際紛争を解決する機関がありながら、戦争が止まなかったのは、まさにそのためだった。そのスピーチで、プーチン大統領は、そうしたことをはっきりと言っていた。
確かアラブでの会談でだったと思うけれど、来年前半で、世界経済の構造が大きく変わる、ということをプーチン大統領は言っていた。来年は、ロシアがBRICSサミットの開催国になり、アラブ3ヶ国を含めた6ヶ国が、新たに加盟する。それにより、世界経済をBRICSが主導する構造ができるのだ。これは、もはやアメリカが植民地支配のために、世界経済を操作することができなくなるということを意味している。世界経済は、公正な秩序を取り戻し、本来の自由競争の原理が機能するようになることで、豊かさが人々に還元されるようになっていくだろう。
振り返れば、この一年は、世界の権力構造が根本的に多極化した年だった。3月に中国の習近平がモスクワでプーチンと会談し、これは100年来の大きな転換だと言っていた。あのあと、アメリカに敵対させられていたアラブの国々が、中国の仲介で次々と和解し、協力し始めた。8月のBRICSサミットでは、新たに6ヶ国が加盟することになって、BRICSが経済力でG7を追い越すことになった。ニジェールは、マリとブルキナファソに続いて、フランスの傀儡政権がクーデターで倒されたけれど、フランスは軍事介入もできないまま、駐留していた軍隊を撤退することになった。このことは、もはや西側諸国はアフリカを植民地支配できなくなっていることを示してしまった。
インドで行われた9月のG20では、西側諸国がウクライナ侵攻のことでロシアを非難する決議を出させようとしていたのが阻止され、もはやG20がG7の言うなりにはならないことがはっきりした。そして、10月にパレスチナイスラエルの間で紛争が始まると、西側諸国はパレスチナを非難させようとしたのに、世界中でパレスチナ支援のデモが起き、アラブもアフリカも、イスラエルを支援するアメリカに背を向けた。
そして数日前に、西側グローバリストが国際刑事裁判所に逮捕状を出させたプーチン大統領を、アラブ2ヶ国が、これ以上はないような歓迎ぶりで迎え、石油産出量についての取り決めが交わされたのだ。これは、今年の大きな締めくくりになったできごとだったと思う。

私たちは人権をとらえ間違いしているのかも?

12月の3日~5日の三日間、檻の中のライオンにどっぷり漬かった。

檻の中のライオンというのは、広島の弁護士である楾大樹さんが書いた本のタイトル。

楾先生は、2013年に憲法が守られていないことに危機感を抱いて、この本を書いたという。
書いただけではなかなか読まれないので、講演活動を始められた。
今では、全国を回って講演会をされていて、ほとんど家には戻れない状況だそう。
今回もなんと55日間のツアーの中で、12月3日から9日まで岐阜県内を回られた。

私は5月に恵那市山岡で聴いて、8月にも中津川市で聴いて、これはぜひ塾の子どもたちに聴かせたいと思って、岐阜県ツアーの中に入れてもらうように手を挙げた。

山岡の講演会の記録はこちら

poppinzmama.hatenablog.com

8月の講演会の記録はこちら

poppinzmama.hatenablog.com

 

3日は何人もの友人に手伝ってもらって、一般の人100人集客を目指して企画した。
人数は100人には遠く届かなかったけれども、子どもも含めて55人来てくれて、自分としては大満足だった。

 

そして、4日は小学6年生から中学3年生までの18人と、保護者、友人合わせて10人が参加してくれた。

ちょうど900回目の講演だった。

高校生が一人も参加しなかったことは少し残念だったけれど、一番聴いてほしい子どもたちに聴いてもらうことができて、こちらも大満足だった。


始まる前に、楾先生に手料理を食べていただいた。北海道から55日のツアー中とのことで、こういう家庭料理が嬉しいと、喜んでいただいた。

 

翌日5日は下呂市での開催だったので、私は楾先生を送りがてらお手伝いに出かけた。

8月の講演会を一緒に聴きに行ったゆりさんが、下呂で初開催したい!とすごい勢いで集客して、教育委員会の後援を取ったり、新聞にも売り込んで記事にしてもらったりして、当日は昼の部は17名(中日新聞の記者さんもいらした)、夜の部は部屋満杯の40名!

後援取るのも新聞にプレスリリースするのも面倒だ~と、最初から諦めてしまっている自分を少し反省もしつつ、若い人が頑張るのをお手伝いするのが良いなあとか思ったりした。(;^_^A

 

6日の中日新聞飛騨版に掲載された記事。

 

これで今年は5回も楾先生の話を聴いたわけだけど、毎回心に響いてくることが違う。

今回は人権に関することが心に刺さった。

 

特に中学生向けの講演の後半で、ノリノリで楾先生が話した内容。

楾「学校で人権作文とか書くでしょ?」

中学生「うん、うん」(頷く)

楾「思いやりとか、いじめを無くそうとか、そんなことを書くことが多いけど」

私「そう、そう」(心で)

楾「それは人権じゃないんだ」

みんな「え~~??」(心の反応)

楾「それは、道徳なんだよ。人権は、憲法で保障された様々な自由を持っていること

 

憲法では様々な自由が保障されている。

身体の自由(18条・31条他)思想良心の自由(19条)信教の自由(20条)表現の自由・知る権利(21条)学問の自由(23条)職業選択の自由(22条)婚姻の自由(24条)財産権(29条)など。

でも、それらの自由(人権)が制限されていることはないだろうか?

校則一つとっても、ブラック校則などと言われるように、意味のよく分からない校則があって、生徒が変えたいと言っても、一方的に「変えられない、校則だから守れ」と言われたりすることはないだろうか?

テレビや新聞では事実がちゃんと報道されているのだろうか?

貧困家庭が増えているという。貧困のために学校へ進学できないとか、いろいろ出来ないことがありはしないか?
それは人権を制限されていると言えないか?

私たちはもっともっと「人権」というものに敏感にならなくてはいけないと思う。

 

楾先生は、写真や感想をどんどんSNSで発信したりして、憲法について知る人を増やしたいとおっしゃっている。
また、講演会を次に繋げてほしいとも言われている。

来月1月21日に名古屋に来るから、その前後でやりませんかと言われて、花咲学園スタッフのみちさんが、学校の先生や子育て世代に聴いてもらいたいと開催を決定した。また、21日は、友人の田村さんが可児市で開催することを決めた。
次に繋げることができて、ほっとしている。

 

1月20日13時30分~16時30分
中津川市苗木交流センターにて

  21日午前
可児市(場所は未定)

 

最後に、4日の感想をピックアップする。

<中学生・小学生>
憲法のことが知れて良かった。
 
・学校で聴かない憲法の話を聴いて、とてもビックリしました。また、今日の話を教えてくれない学校はとても不親切だと思ったし、そういう大人になりたくないと思いました。憲法は自分たちが作ってそれを監視したり批判したりできるような大人になっていきたいです。
 
・私は2年生の時、人権作文を書いて県で入賞しました。しかし、今回の話を聴いて、書いた作文が本当に人権のことを書いていたのかと疑問に思いました。家に帰ったらもう一度自分の作文を読んでみたいと思います。
 
・私は憲法や権利のことについて知った気になってしまっていましたが、今日の話を聴いて、檻の重要さや権利の必要だに気付きました。今後は凝り固まった考えをぶっ飛ばして、政治や権利、憲法に関心を持って生活していきたいです。
 
・ぬいぐるみや身体を動かしながらだったから、おもしろかったし分かりやすかった。
 
・たくさんのことを覚えさせるような講演ではなく、分かりやすく少しのことを教えてくれたので、頭に入りやすく分かりやすかった。
 
・普段憲法についてふれていないけど、今日の話を聴いてくわしく知ることができて良かった。
 
・学校では言葉だけ学んでいるだけで、しっかりと理解するまでいけていないことや、教科書は間違ったことが書かれている場合は多いので、教科書の内容をすべて信じてはいけないということに気付くことができました。また、憲法の仕組みや国民は自由に言ったりしても良いということも分かりました。
 
・学校で習った憲法は私たちの国民が守るべきことだと思っていたけど、憲法というのは、国会の人々が守らなければいけないと分かりました。とても簡単に説明してもらえたので、わかりやすく理解できました。
 
・今まで自分が知らなかったことが分かることができたし、先生の説明が分かりやすくて、興味を持って話を聴くことができた。
 
・知らなかった憲法のことがたくさん知ることができたので良かったです。このことを忘れずに覚えて、もっとたくさんのことが知れるようにしたいです。
 
・本を読んでいたりして、知っていた。ぬいぐるみの例えが分かりやすかった。
・けっこう理解できた。
 
・学校で教えてもらうことより、今日教えてもらったことを行動できるようにしたいです。
 
<大人>
憲法=難しいと思って近寄りがたい感じがしていましたが、分かり易く、自分事として考えて行かないと思いました。教科書の話はおもしろかったです。今の日本は、言論の自由、報道など、とても危険な感じがして危ういです。子どもたちが考える力を奪うような教育がなされているのではと思います。こういった話ももっと身近になるといいなあと思いました。
 
・自分でいろいろ気が付いて、考え、それが憲法ともどうつながっているのかを、時々考えてみようと思います。
 
憲法のことを知らな過ぎて、恥ずかしいかぎりです。YouTubeで復習してちゃんと理解できるようにします。

 

下呂では、檻の中のライオンのイラストを描いた今井ヨージさんがいらっしゃった。

なんと、初対面なのだとか。楾先生も大感激されていた。

最後に私も初ツーショット。

 

ババシャツからインナーへ~下着考察

今ではヒートテックに代表される、長袖のあったかいシャツ。

昔は「ババシャツ」と言っていた。

ババシャツと言うのは、ばあちゃん(年寄り)になってから着るものという意味で付けられたのか?

若い人たちは、ババシャツなど着るのは何だかダサいと思っていた。

イヤ若いって何歳のことを言うのかなと思ったりするけど。

少なくとも私は、20歳代の時はそう思っていた。

中学までのことは覚えていないけれども、高校生の時は、冬場はババシャツでなくTシャツを着ていた。身体にフィットしないからそんなに暖かくはないけど、まあそんなものかと思っていた。

30歳代の半ばになって、某下着メーカーの代理店になった。

そこで、下着の意義と言うか、大切さを知ることとなり、ババシャツデビューをした。

身体にピッタリと寄り添うシャツは暖かかった。

それまで身体を冷やしていることに気付いた。

 

なぜこんなことを書いているかというと、

先日急に寒くなったとき、3枚重ね着をしていたのに、何だかスース―して寒かった。

3枚も着ているのになあと不思議に感じて、気が付いた。

その日は古いヒートテックを着ていたのだった。
前日まで暖かかったから、厚めのインナーは止めて薄目のものにした。

 

ヒートテックは、説明するまでもないが、ユニクロが開発販売して大ヒットした暖か下着である。

最初はシャツだけだったが、ズボン下やパンツ、靴下など、どんどん広がっていった。

他者も、ホット何とかとか、温いなんとかとか、あれこれ名前を変えて販売している。

水分を熱に変換するのだという。確かに暖かい。

ヒートテックが世に出てから、若者たちもシャツを着るようになった。

もうババシャツなんて言われなくなった。
今ではインナーというのが一般的になった。

ズボン下も、レギンスとか、スパッツとかかっこ良さげな名前に変わって、履くのも抵抗感がなくなった。

 

塾を30年しているが、以前は、中学生たちは晩秋になると「寒い、寒い」と言い、すぐにヒーター付けて~と言った。
シャツを着ずに、体操服とジャージだけだから寒いに決まっている。

私は「シャツを着てこい!」と言った。
下半身も、ショーツ(パンツ)にジャージだけだから、特に女子には、ブルマとか毛糸のパンツとかを履いた方が良いよと話した。
もちろん、そんなものを履く女子はいなかったけど。

娘には寒い時は毛糸ではないけど、暖かめのブルマを履かせていた。生理痛とかは冷えから来ることもあるから。

そんな中学生たちもヒートテックが出て来てからは、みんな着るようになった。

まあ、冷えからは遠ざかったのなら良かったと思う。

 

ヒートテックは破れたりしないから何年も着ているけど、数年経つと、びろーんと伸びてくる。
その伸びが、最初の頃より早まっていると感じるのは私だけだろうか。
夫のものは早いと2年で伸びてくる。
誰だったか、毎年新調すると言っていたが、そんなモッタイナイことできない。

 

一説には、ヒートテックなどの化繊のものは、皮膚に刺激を与えるし、イオンが何とかで、良くないといわれる。

綿や麻などの自然素材が良いとのことだ。

そうか、だったら私も徐々に綿のものに換えようと思っているが、ものによっては、綿素材の下着は身体に密着しないものがあり、暖かさの点で機能が落ちる気がする。

綿素材のもので私のイチ推しは、某下着メーカーのキルティングインナーである。
値段は高めだが長持ちするので、安いのを何枚も買い替えるよりは良い。

(代理店の権利は持っているけど、仕事はしていないから、宣伝というわけではない)

 

ちょっと書くつもりが長くなってしまったが、
良い下着を着たら、暖かいよということを言いたかったのだった。

寒さを感じたので、翌日は新品の暖かいシャツを着てみたら、上の服は薄いトレーナーだったがとても暖かかった。

というより、お天気が良かったので、暑いほどだった。笑

 

 

大人の文化祭~時代の転換期にいる~

長年推している大西つねき氏が主催した「大人の文化祭」

三宅洋平氏と滝沢泰平氏がリアル出会ったことがないことを知ったつねき氏が、八ヶ岳でコミュニティを作っている滝沢泰平氏の運営する「リトリートドームOR」という場所で、何かイベントをやろうと言い出したのだそう。

11月3日にこじんまりとやるつもりだったのに、不思議なくらいに「生きることの本質サロン」に関わっている人たちの多くがこの連休中予定が入ってなくて、参加者がどんどん増えていって、4日もやることになったと、つねき氏自身が文化祭の最初の挨拶で話した。

その話を聴いただけで、私は鳥肌が立つような感じがした。


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文化祭があることを知って行きたいな~と思ったのだけど、その一週間前に長野に家族旅行を予定していて、5日は時遊庵でピザパの予定もあって、いや~、ちょっと無理かな~と迷っていた。

でも、チケット販売の日に行こうと決めた。その時点でチケットは残り4枚だとわかり、大急ぎで購入した。
4日は午後時遊庵へ移動することにしていたので、1日券で良かったのだけど、残念ながら通し券しかないという。まあそれでもいいやと思ったら、あとで麻理恵さんが差額を払い戻してくれた。感謝。

まあ、そんな事情もありながら、これは行くしかないでしょ!とチケットを申し込んで、本当に本当に良かった!

 

ちょっと前置きが長くなった。(私の記録だからね)

さて、大人の文化祭とは何か?
どんな人が出演するのか?

文化祭だから、音楽があり、演劇があり、講演(トーク)があり、落語があり、美味しいものを売っているし、オーガニックマルシェもあるというもの。

出演者は、フライヤー裏面に書いてあるのだけど、そこには書いてない人も次々と増えていって、プログラムはその日の朝に追加されたりした。


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小淵沢ICを下りて、一般道をORへ向かったのだけど、ナビがあるにも関わらず間違えてしまった。でもそのおかげで八ヶ岳を正面に見ながら走ることができた。
思わず写真を撮る。f:id:hmakmama:20231106161340j:image

心配だったので早めに出発したら、グーグルマップで出た時間通りで、9時20分に到着。一番近い駐車場に停めることができた。

まだみんな準備中。

滝沢泰平さんだと思われる人(はっきり分かっていないことに気付く)がスタッフの名札を下げて駐車場案内をしてくれた。
後で写真撮らせてもらえばよかったと思った。完全にミーハー(笑)

受け付けを済ませて、ドームの中に入り、一番前の中央の椅子席を確保。
それから、外へ出て、飲食や農家のお店を見て歩いた。


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ふんどし一丁の若いお兄さんが発酵ドリンクのお店をやっていて、さっそく頼んで話をしてみた。f:id:hmakmama:20231106161447j:image

 

今井元雄さんと公子さんに出会ったので、嬉しくて写真を撮る。つねき氏の作ったカレーとピザのお店をお手伝いしているという。あとで食べに来るね~。


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ウロウロしていたら、見たことある人が麻理恵さんと話しているのが目に入った。
コバシャールさんではないか?
声をかけてちゃっかり写真を撮らせてもらった。


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そうこうしているうちに、10時を過ぎて、つねき氏の話が始まったので、あわててドームの中に入った。

先ほど書いたように、奇跡のようなことが起こったとのこと。

その人一人だけでも何百人もお客を呼べるような有名な人たちの予定が、この3日4日にピッタリ合っていたということ。

リアル参加のチケット100枚はあっという間に売れてしまった。オンライン参加の人もたくさんいるのだそう。

話を聴いただけで、ワクワクドキドキしてきた。


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最初の演目は和田愛香さんの一人芝居。

4本の芝居を演じたのだけど、一見普通の女性に見える愛香さんの演技力に目を見張った。

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最後の「シンガーソングマザー」という作品は、笑いながら泣けて来た。
見事に世相を皮肉りつつ、生きていく上で大事なことを教えてくれる。
これを観ただけでも、来た甲斐はあったと思った。

次はさとうみつろうさん三宅洋平さんの対談。f:id:hmakmama:20231106161641j:image

二人ともYouTubeでよく観ている人。
みつろうさんは、公式LINEも登録しているので、よくブログも読む。

ちょうどこの数日前に、みつろうさんの「水と空気から石油を作り出した」というYouTubeを観て、これはみんなに拡散しなきゃ!と友だちなどにシェアしまくっていた。八ヶ岳へ向かう車中でもYouTube動画を聴いていた。

その動画の中で「千の風になって」を歌っていたのだけど、まさか生で歌を聴くことができるなんて! 

話題の動画はこちら

youtu.be

千の風になっての歌を歌っている動画

youtu.be

 

この後は外へ出て、ドリンクとパンを買って少し休憩。


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奥の方では、「ぐるり」というフリマ(物々交換)スペースになっていた。

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「ぐるり」は久本和明氏が立ち上げたFacebookグループ(プライベートグループで現在1万5千人ほどいる)

ぐるりに出すものを持ってきていいよと言われていたので、サイズが合わなくなったスカートなどを10数点持っていった。
気に入っていて大事に取っていたのに、全然履けなくなってしまった・・・誰かに着てもらえたら嬉しいなあ。

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さて、ドームの中では、つねき氏とネドじゅんさんの対談が始まっていた。

ネドじゅんさんは、ある日突然左脳が働かなくなったという女性

YouTube動画の再生回数が一番多いのがこちら。

youtu.be

ネドじゅんさんは動画で観るよりずっとにこやかで、やわらかい雰囲気をかもしだしていた。

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いいなあ、こんな笑顔で暮らしたい。
左脳が働き過ぎないように、もっとゆったり暮らさないとな~。

でも、最近、以前よりも直感で動くことが多くなっている。
何か知った時、ほとんど考えないで、申し込みしたり日程を決めたりする。
そして、だいたいがその選択がOKである。
だんだん左脳より右脳が優位になっているのだろうか?と、話を聴きながら思った。

お昼には食べられなかったつねき氏の作ったカレーを買いに出た。

食べていたら、ネドじゅんさんにサインをもらいに来た友人に出会った。
家族みんなで来ているという。彼女も直感で動いている、同類人間。笑

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中では落語をしていたけど、カレーを食べることに集中。

豚のスペアリブの煮込みカレー。コクがあってすごく美味しい。

 

食べ終えてドームに入ると、工藤シンク氏他3人のトークが始まっていた。

工藤シンク氏は、あちこちで「サイハテ」というエコビレッジ作りを実践している人。
つねきのオンラインサロンでよく話を聴いているが、生の話を聴けて嬉しい。

シンク氏のFacebook
https://www.facebook.com/saihate


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右の人は、清田君と呼ばれる、スプーン曲げで一世を風靡した人。

ja.wikipedia.org

清田君の話も面白かった。

4人のうちあとの二人は、こちらの人。
私は名前を聞いたことがある程度の人たちだったけど、どちらの話も聞いてよかった~と思えた。

左側の人は,飛龍さんこと、傍島飛龍さん。廃材エコビレッジゆるゆるというコミュニティを作っている人。

hiryu-sobajima.theblog.me

右の人は、鯉谷ヨシヒロさん。
長年メキシコに住んでいて、今は八ヶ岳でリトリートツアーを企画しているのだそうだ。

yoshihirokoitani.com

上のHPを見たら、何だか面白そうな動画があった。
あとで観てみたい。

飲み物を買いに外へ出ようとしたら、工藤シンク氏がいたので思わず写真を撮らせてもらう。そこにやってきた人も(誰?)一緒に。たぶん一般のお客さんじゃなさそう。笑

 

外で夕焼けを眺めていたら、声を掛けられた。

もう6年くらい前からFacebookで繋がっている加藤さんだった。

おお!リアル出会うの初めてだよね~。
そういえば、時遊庵でとれた柿を送ってあげたことがあった。

それから、公子さんから恵那市から来たという人(名前忘れた)を紹介されて、これからよろしく!と話をしたりして、みんなで記念撮影した。

そろそろ暗くなってきた。

ドームの中では、岡本よりたか氏の対談が始まったので、急いで中へ入った。

このトークは、農業の話。

中央がよりたかさん。この人も6年以上前からフォローしている。自然農を実践している人。
北杜市から岐阜県郡上に移住した時、近くなったから会いにいけると思ったのに、全然行けなくて、リアル出会う(見る)のは2回目。

いつもFacebookの投稿を読んで、共感したり、感動したり、学ばせてもらったりしている。

https://www.facebook.com/yoritaka.okamoto

右側の女性(南かおるさん)は、今年初めて米作りをしたのだそうで、その体験を話された。
田畑や機械を持っていなくても、借りてやればできるよ~と、そのカジュアルさがいい。

左の人は、岡山で自然食店COTANを経営している近藤氏。
オンラインショップがこちら。

www.cotanfoods.com

トークの中で、「農と農業は違う」という話が、なるほどと思った。

 

長~いブログになったなあ。
誰もここまで読まないだろうけど、私の記録だからまあいいか。

さて、あと少し。

時間は6時を過ぎた。外は真っ暗。
1日目の最後は、高山広氏の一人芝居。
つねき氏が以前からめっちゃ推していたので、楽しみだった。

profile.ameba.jp

最初はほんの数分のお芝居。「噂」

短いながら深い、深い。

そのあと、マイケルジャクソンの一生を描いた作品を、およそ2時間。

マイケルジャクソンについては、私はよく知らなくて、最期は児童虐待?か何かで訴えられたというニュースを聞いたり、いやそれは冤罪だったというニュースも聞いたり、というレベル。

1人で見事に演じ分け、途中からは泣けてくるし、でも深く考えさせられて。
これを観るだけでも、一万円の値打ちはあるでしょ、と思った。

 

終わったのは8時40分くらいだったか。

最後に工藤シンク氏のプロデュースのプロジェクトマッピングがあるとのことだったけど、何だかよく分からないし、これから2時間以上かけて家に帰るなら早く出ようと、感動を引きずりながら、後ろ髪をひかれながら、車に戻った。

娘から、「今夜の塾、どうなっている?」と連絡が入っていた。

ギャー、すっかり忘れていた~。(;^_^A(;^_^A

慌てて生徒に「今夜はお休みします」とLINEを入れてから、車を走らせた。

塾のことなどすっかり忘れるほど、ワクワクした一日だった。

 

久本和明さんとも写真を撮ってきた。
11月1日に、花咲学園に来てもらってお話会をひらいたばかり。

また来年来てもらいたい。

二日目は残念ながら参加できなかったけど、オンライン配信もされ、アーカイブも残ることになった。しかも期限無し。

つねき氏いわく「宇宙一の伝説になった」文化祭。
これから何度も観直して楽しみたい。