poppinzmamablog

関わってくれている子どもたちや、その親御さんへ向けて発信しています。健やかな育ちを願って!

お医者さまが怒っている

子どもにワクチンを接種してはいけない

 

柳沢厚生医師のメッセージ
ぜひ目を向けてほしい。

Xのポストより

コロナ感染症が5類に移行したあとでも、
生後6か月以上の子どもたちにワクチン接種を推奨しているという現実。

コロナワクチンは遺伝子ワクチンである。

小児学会が子どもたちに推奨しているということは何故なのか?
バックに何があるのか?
そんな疑問が湧いてくる。

WCH JAPAN(ワールドカウンシルフォーヘルス ジャパン)
という団体が立ち上がっている、

その団体が以下の署名を集めている。

紙の署名とネット署名がある。

t.co

ネット署名ができる人は、上をクリックしてね。
紙がいいわという人には、持ち歩いているので、言ってね。

レジ袋有料化のせいでなく、店員の質?

この前ある大型スーパーで買い物をした。

最初に洋品を購入。

レジでのこと。

支払ったお金を受け取った店員が商品をカウンターに並べ、突っ立っていた。

私はショルダーバッグの中をゴソゴソしてエコバッグを取り出し、商品をエコバッグに入れた。

ブラウスと帽子と靴下がむき出しのまま、エコバッグに突っ込まれた。

せっかく畳んでくれたブラウスはシワになるけど、気にする余裕はない。

その間1分もないだろうけど、店員は無表情で突っ立って見ていた。

上から目線で対応されたようで、気持ちがザラついた。

 

そう言えばと、思い出した。

 

レジ袋が有料化された頃のこと。

本屋さんで絵本をプレゼントにしようと、包んでもらった。その包み紙は無料だけど、それをレジ袋に入れると有料になるという。

高々5円のことではあるけど、お金を支払いたくないというより、レジ袋を使うことに罪悪感を感じて、レジ袋を断りエコバッグを取り出した。

すると、本屋の店員はプレゼント包みをカウンターに置いて、ここから先はお客さんがやるのよとばかりに、突っ立って見ていた。

ツルツル滑る紙に包まれた絵本何冊かは、けっこう重かった。
それをビニル製のエコバッグに入れようとすると、滑ってしまって何度かやり直した。

その間も店員は黙って見ていた。

 

泣きそうになりながら、店を出た。

 

以前なら店員がレジ袋か紙袋に入れて、渡してくれたよね。
「ありがとうございました」
「はい、ありがとう」
などとお礼を言い合ったよね。

 

レジ袋を有料化したことで何が良かったのだろう?

エコロジーを意識するようになった?

レジ袋を作るより、エコバッグを作る方がエネルギーは多く使われているのだそうだ。
もちろん、何でもかんでもレジ袋に入れて、袋を直ぐに捨ててしまったりするのは問題かもしれない。

プラスチック問題は何も解決していない。
それどころか、コロナ騒動でマスクが広まり、不織布マスクの使い捨てが増え、捨てられたマスクは海へ流れ着いて、ナノプラスチックになっている。

不織布っていうけど、これ布でなくプラスチックだから。プラスチックで口を覆っているというわけだ。

(おっと話がずれた)

レジ袋に限らず、意味の分からないことがいつの間にか決まって、疑問に思いながらも従っているうちに慣れてしまって、当たり前に思うことが多いのではないか。

他にもいろいろと書きたいことがあるが、今は話がずれるのでやめておく。

 

レジの店員が突っ立っているのは、レジ袋が有料になったせいでなく、店員の質の問題なのかもしれない。

中にはエコバッグを受け取って、商品を入れてくれる店員もいる。

けれども、突っ立っている店員が増えているような気がする。

 

新しい服と帽子を買った嬉しさなど感じることなく、なんだか情けない気持ちを抱えて、早めの夕飯を食べるためにフードコートへ行った。

うどんを食べることにして、注文してレジでお金を払った。

そのレジ係の人は、お金を出すときにもたついた私に「ゆっくりでいいですよ」と言ってくれた。

落ち込んでいた心がほわっと軽くなった。

思わず「ありがとうございます」と言ったとたん、泣きそうになった。

 

 

富士山をぐるりと回ってきた(2)

箱根仙石原プリンスホテルにて起床。

このホテルはゴルフ場が併設されていて(ゴルフ場が先に出来たのか?)、広い窓から広いグリーンが見渡せる。

角部屋だったので、私たちの影が写っている(笑)。

ゴルフ客が主なので、海外の人はほんの数人いただけだった。

豪華な朝ご飯を食べて、9時にチェックアウト、1日休暇を取っていたはずだったのに午後から仕事が入ってしまった息子を小田原まで送ることにした。

古城を思わせる外観

箱根ってものすごく広い。
ホテルのある仙石原は標高が高い場所で、有名な大涌谷は結構低いところにある。

小学校の修学旅行で箱根小涌園に泊まったなあ、なんて昔の思い出話もしながら小田原駅へ下りて行った。

 

息子を降ろして、向かったのは「ういろう」というお店。

www.uirou.co.jp

実は夫は大のういろう好き。
小田原といったらういろうだ!ということで、検索をしたらこのお店が出てきた。
「ういろう博物館」としてもグーグルマップに出てきていた。

上のサイトを読むと分かるが、外郎(ういろう)というのは、苗字なのだ。
そして、さらにびっくりなのが、外郎は元は薬だったということ。
650年も続いているそうだ。

お店の女性スタッフがいろいろ話してくれた。
店内の一部に喫茶店も併設されているので、そこでういろうを食べられるかと思ったら、残念ながらういろうのメニューはなかった。
試食させてくれたらいいのにね、なんて話しながら出てきて記念撮影。

外観は小さなお城みたいだった。

出てきてしばらくしてから、そう言えば博物館は?と気付いた。

地図ではここだよね、どこにあったのか?案内はなかったよね。
お店の人も何も言わなかったし・・・。

でも、サイトを見ると、二階あたりにあったようだ。
見たかったなあ。

お土産に買った外郎の袋を下げて、小田原城へ向かった。

遠足に来たらしい小学生か幼稚園児もたくさん歩いていた。

アジアン系の家族が撮影してくれた。

 

小田原城を後にして、また箱根を通過して、三島へ向かった。

三島スカイウオークというアトラクションがあるという。

富士山がきれいに見える場所に、長いつり橋が出来ていて、渡った先にはアスレチックなどのプレイランドがあった。

ロングジップ何とか(名前忘れた)というターザンロープみたいなアトラクションがあって、次々と若者たちが叫び声を上げながら楽しんでいた。
それを見ながら、長いつり橋を渡ったが、なかなか楽しかった。

富士山がきれいに見える。
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朝ご飯をしっかり食べたのでお腹がすいてなくて、ソフトクリームや焼き芋で軽くお昼ご飯にした。

 

午後2時に帰途についた。

途中でまた美しい富士山を楽しみながら走った。(夫は運転)

 

三島ICから第二東名に乗って、静岡サービスエリアで休んだ。

フードコートには静岡ならではの生シラスがあったので、遅いお昼ご飯にした。

鯵の握りもとても美味しかった。

 

そして、静岡おでんがあったので、買ってきて夕飯にした。

私は大学時代を静岡で過ごした。
その当時は静岡おでんなんてあったのか?聞いたことはなかったなあ。
B級グルメで有名になったのかな?

なかなか美味しいおでんだった。

二日間、山梨、静岡の2方面からの富士山を眺めることができた。
神奈川(東側)からの富士山が少ししか見られなかったのが少々残念。

次は孫に富士山を見せてあげたいなあ、なんて思っている。

 

富士山をぐるりと回ってきた(1)

息子が会社を辞める時に、何だか知らないけど(息子は知ってると思う)ホテル宿泊券をプレゼントしてくれたとのことで、昨年に続いて宿泊招待してくれたので、出かけてきた。

昨年は東京有楽町のコンラッドという高級ホテルだった。それはブログには書いてなかったけど、今回はちょっと記録しておこうと思う。

中央道から見えた富士山

今回のホテルは、箱根の仙石原プリンスホテル。なんでも、ゴルフ場併設の老舗のホテルだという。

箱根なんて中学の修学旅行以来じゃないか?いや、大学の時に友だちとドライブしたことがあったが、何処に行ったのかさえ記憶にないから、ほぼ50年ぶりかもしれない。

 

さて、箱根に行くことにはなったが、観光はどこへ行こうか?と直前になって相談して、行きは伊那まで国道を走り、伊那から中央道に乗って、途中でまた一般道に下りて、河口湖にある「与勇輝ミュージアム」へ行くことにした。

与勇輝というのは人形作家で、30年くらい前に一時期すごくはまったことがある。

2度ミュージアムに行ったことがあり写真集も持っている。富士山方面に行くのならぜひまた行きたいと思った。

www.fkchannel.jp

 

国道19号から、権兵衛トンネルを抜けて伊那ICへ降りるのだが、その途中の峠付近は雪景色で、ノーマルタイヤに替えてしまったのでドキドキしながら走った。

まあ、路面は雪もなく乾いていたので、大丈夫だった。

諏訪湖サービスエリアで少し休憩して、予定時間には河口湖に到着した。

富士山が見えるドライブインには観光バスや乗用車があふれていたので、少し先にあるお休みしているお店の駐車場に車を置いて、湖畔に下りてみた。

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雪を被った富士山をこんなに近くで見るのは珍しい。何枚か写真を撮影していたら、夫が「まだ別のところでも写せるから行こう」と言ったので、まあそうね、と車に戻った。

そこで与勇輝館が木曜日は休館日であることが発覚した。泣
アチャー! 泣

事前にちゃんと調べておかないから仕方がない。

じゃあ、ランチだけでも河口湖付近で食べようとお店を探して、38KAWAGUCHIKOという洋食屋さんへ入った。

 

でっかいハンバーグ

そして、ボリューミーなピザ!

気さくで親切なシェフの奥様から、与勇輝ミュージアムについて情報を教えていただき、またどこかで来ることにした。

お店の前の道路から見る富士山

その後、一路箱根へ向かう。

ところが、箱根へ行けると思って進んだところが間違っていて、新御殿場のICに入ってしまった。

で、入り口の横にある駐車場に入ると、あちこちに「間違えた方は事務所へ」との看板があった。

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結構な頻度で間違える人がいるのだそうで、間違えた人向けのプリントも用意してあった。
じゃあ、ちゃんと事前に道案内を書いてくれよと言いたい。(笑)


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走っている間に見える富士山を車中から撮影したのだが、その後はモクモクとした入道雲みたいな雲が目前に上がってきた。

そしたら、御殿場からは富士山がほぼ雲に隠れてしまった。
乙女何とかというビューポイントからの眺めがこんな感じ。

下は看板、上が雲に隠れた富士山

残念この上ない。
「いつまでも見えると思うな、富士山、だなあ」と夫と笑った。

 

箱根に到着し、ホテルチェックインの前にポーラ美術館に行った。

ここでもちょっとしたミスがあった。
正門が少し上ったところにあるので、そこを避けて車椅子用の裏口から入ろうと思って、建物に沿ってあるいていたら、森の中に入ってしまった。
そこは遊歩道だったようで、草刈りをしている職員さんに尋ねたら戻るしかないとい言われた。

その時のショット。


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ちょっと疲れたので鑑賞の前にお茶タイム。

オリジナルジンジャーエールと、ケーキセット。


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展示物は多くはないが、テーマ館がなかなか興味深かった。


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1920年代にフランスのパリをはじめとした欧米の都市では、第一次世界大戦の復興によって工業化が進み「機械時代」と呼ばれる華やかでダイナミックは時代を迎えた。
本展覧会は、1920-30年代のパリを中心に、ヨーロッパやアメリカ、日本における機械と人間との関係をめぐる様相を紹介している。

中略
コンピューターやインターネットが高度に発達し、AIが人々の生活を大きく変えようとする現代において、約100年間の機械と人間のさまざまな関係性を問いかける

説明書きにはそんな文言が書かれていた。


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ホテルにチェックインして休んでから、遅れて来た息子と外へ食事に出た。


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酔っぱらった息子と。
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急ピッチで飲んだ夫は部屋に戻るとすぐに寝てしまい、私は息子と飲み直しながら夜中までいろいろ語りあった。

その間にちょっとしたアクシデントがあったのだけど、それは内緒……(笑)

       (2)に続く

 

https://poppinzmama.hatenablog.com/entry/2024/03/18/003712?_gl=1*lv241k*_gcl_au*MTkzNjMyMzQxNC4xNzEwOTI5MTgy

幸せに生きるために憲法を学ぼう

憲法について何度か書いてきた。
(過去記事は最後にリンクを記載)

日本人は今まで憲法のことを全然知らなくても平和に暮らせてきた。

3度の食事も(内容はともあれ)まあまあ食べることができて、ひもじい思いをすることはほぼなかった。
次々と便利な家電製品ができて、それらを使えば時短でき、自由になる時間も増えた。
家族や友人と楽しく外食したり旅行したりもできた。

でも、それで私たちは幸せになったのか?

確かに戦前とか戦時中とか戦後しばらくと比べれば、幸せと言えるのかもしれない。
物価高になったとはいえ、まあまあの暮らしができている人が多いのかもしれない。

だが、世の中全体を見渡せば、
自殺者数は世界一だと言われる。
子どもの自殺も増えている。
子どもの不登校も公式発表だけで30万人。
貧困家庭は増えている。
正社員は減り、派遣社員やパートばかりが増えている。

などなど・・・数えたら幾つもの悲しい現状があり、とても国民全体が幸せだとは言えない。

片方で、政治家たちは3000万円脱税しても特に罰せられるわけでなく、やりたい放題している。

災害支援の金額より、海外への支援金額の方が大きかったりもする。

本当におかしなことがまかり通っていると思うのだけど、まあ言ったって仕方がないとか、まあこんなものさと諦めきっている人や、自分には関係ないという人が多いから、選挙の投票率も低い。

 

それもこれも、
憲法について私たちが学ばせてもらえなかったからだと分かった。

昨年5月から今までに、私は「檻の中のライオン講演会」に6回参加した。
聴けば聴くほど、これは私の知っている人には全員知ってもらいたいと思った。
いや日本国民みんなが聴くと良いと思う。
(まあ、すでに勉強してよく分かっている人は良いけどね)

学校教育で私たちは憲法についてどう学んだのか?

基本的人権の尊重
国民主権
・平和主義
そんな言葉はまあ分かっている。
でも、基本的人権って何か分かっている人は少ないと思う。
国民主権って言われても、へえ~って感じではないか?
平和主義はたぶん一番分かっているかな?

そもそも憲法って誰が守るもの?という一丁目一番地が分かっていない人が圧倒的なのだ、ということが、この講演会を聴くと分かる。

そこが分かると、私たちは憲法に守られているということが理解できる。

だから、幸せに生きるためには憲法を知ることが大事というわけ。

日本が変な方へ運ばれて行きつつある、今は特に!

 

昨年から数えて

6回目の「檻の中のライオン講演会」が、4月1日、2日に開催される。

今度の主催者は、恵那市は小笹寿里さん。中津川市は久保顕介さん。

ぜひ聴きに来てほしい。
中高生たちにもぜひ!

 

 

詳細はこちらのイベントページをごらんくださいね。

fb.me

fb.me

<主催者の想い>

檻の中のライオンを聴いて 普段なんとなく、感じていた政治への不安感を一部ですが、理解することができました。

例えば、政権与党が正しくないことをしていたら、野党が審議を求めて、公平な運用に修正するということが国会で行われていると思っていましたが実際は違っていました。

私自身、これまでの学校の授業でも憲法や政治については構造の暗記問題くらいで、その大切さをしっかり教えてもらうことはなかったように思います。

その結果、自分の生活に直結することなのに、良くわからず普段は関わることのない事柄になってしまっています。

今回の講演を聞き、この状態を放置すべきではないと感じました。

なんとなく難しいことと思って放置したり、国民にとって必要なことだから受け入れるしかないと思うのではなく、

「それってまだ議論が必要じゃない?」という感覚を国民の大半が持つようになったら、国会も今のような状態にはならないと思います。

この活動による変化がすぐに現れないとしても、憲法ってどんなもので、それを元に国家権力を運用していくことがどれだけ重要なことか、ということを少しでも多くの人に知ってもらいたいと思います。
中津川市主催代表 久保顕介

 

私は今、国や行政の決めた事だからという理由から 理不尽なことが罷り通ってしまう現状の中にいました。

誰がこのルール決めたの?それって決定事項なの?ということがとても多く、 檻の中のライオンを聞いて、やっぱり自分のおかしいと思うこと、 いやだと思うことは、声を上げていいんだと、少し安心しました。

この理不尽な事が、子供の学校統合問題であり、その中で声を上げる人は一部の人だからと扱われ 無理やり進めていかれることに、心理的安全性を感じず、尚且つ 周りの保護者の大半が、起きてる現実に興味もなく 行政の決めた事だから間違ったことは言っていない、決められたことのなかで、前向きに自由を決めて行くしかないのだと 、ママ友に言われたのです。

ですが、私は考えが違い、たくさんの保護者が自分ごととして考え、未来を予測してほしいと思い、 やっぱり声を上げなきゃいけないんだ!!改めて思う事ができ、このタイミングで、恵南地区の全保護者に聞いてもらいたいと思いました。

私は、学校や授業で習うことは、間違ったことは教えられていないと思っていたのですが、実はそうではない事だったり、根本的な誰のための?何のための?ルールや法律なのか?と言うところは、全国民が認知すべきだと思いました。

オリライのお話を聞いて、今知識を得たことで、こんな世の中でも、みんながオリを作り直せば、もっとワクワクした未来を子供に手渡すことができるんじゃないか?とも思いました。

だからこそ、今問題に渦中にいる、お父さん、お母さん、そして何も発言ができない教員、行政の方々にもしっかり聞いてもらえたら嬉しいと思います。そんな思いから、講演会開催に手を挙げました。

恵那市主催代表 小笹寿里

 

過去記事

poppinzmama.hatenablog.com

節約しながらお金の流れを変える

お金の流れを変える!?

そんな大きな話、何なの?って思いますか?

できるわけないじゃん!って思いますよね。

 

政府のやっていることや裏金問題なんかを知れば知るほど、本当に怒り爆発。

もう税金なんて払いたくない!って本気で思うし、

なるべく税金を払わないように、

物々交換とかで生活できると良いなあと思っている。

 

そんな私が、3年前(2021年)の春に、

お金の流れを変えるという話を聴いた。

 

当時、私は25年くらい使っていたdocomo携帯に見切りをつけようと思っていた。

私の周りでは、その数年前から格安スマホに乗り換える人が何人かいた。
娘も楽天スマホに替えた。

でも、私は、ショップがあることの安心感や音楽や写真などの便利なサービスがあることを優先して、docomoを使い続けていた。

ところが、ショップに行っても全然役に立たないということが何度もあった。

役に立たないどころか、

質問しても「もう古いから」と新しい機種を勧められたり、

時には上から目線で話をされて馬鹿にされたような気持ちになることもあって、

もうショップの意味はぜんぜんないと実感することが立て続いた。

長年1万~2万円(3台持っていたこともある)も支払い続けたお金で、
豪華なテレビCMが作られ、
何もしていない株主に配当されることにも、
嫌気がさしていた。

それでやっと格安スマホに乗り換える気持ちになって、
じゃあ、どこがいいかと探し始めた。

そのタイミングで出会った、格安スマホ会社!

オンラインで説明を聴いた。

その説明を聴いたとたんに、私は、
ユーザーになると同時に、代理店になる!と言ってしまった。

その理由は、4つ。

①株式会社でなく、一般社団法人であること。
株式会社だと株主だけが儲かったりする。
社団を立ち上げた代表は、京都であったある事件をキッカケに、今や国民の大半が持つ携帯電話の料金を安くしたいと思って、一般社団法人という形にしたという。


②お金の流れを変えることができる。
多くの人が利用しているのはdocomoausoftbankという三大キャリアでは、全国津々浦々で支払った料金は、全部東京にある本社へ入ってしまう。
でも、代理店方式なら、支払われた料金は代理店に分配される。
どんな僻地に住む代理店も潤うことができる。
そしたら、そのお金はその地域で使われる可能性が高い。

 

③私の周りの人の携帯料金を安くしてあげることができる。
そんなに多くはないけど、今のところ誰からも不具合は届いていない。
ただし、docomoの電波を使っているので、docomo電波が繋がらない場所は無理。
一人だけ、そういう人がいた。

 

④代理店活動で入った利益を、子どもの教育や地域作りという活動に使うことができる。
まずは自分の携帯代を無料にした上でだけどもね。
私は花咲学園を娘と運営したり、助け合えるコミュニティ作りをしたりしている。
そこに使えるようは利益が出たら良いなあと思った。

 

ところが、、、
代理店になったものの、この3年間、たいした活動はできなかった。
その原因は幾つもあるのだけど、ここでは割愛。

 

でも、せっかく代理店のポジションを持っているのだから、

最初に思ったことを思い出して、仕切りなおそうと思って、これを書いている。
(2年前にも書いて下書きしておいたのに、なぜか消えているという不思議)

この3年の間に、社団はどんどん規模を大きくしてきた。

携帯電話だけでなく、電気やガス、光回線もできた。

アクアバンクという浄水器も扱い始めた。
(私も昨年契約して使い始めたけど、安心だし便利だ)

格安携帯を扱う会社は幾つもあるのだそうだが、
ここまで大きくなってきたところは他に無いらしい。

 

何でもかんでも物価高になってしまった今。
これからももっと厳しくなっていくかもしれない。

そんな世の中で、少しでも節約したい人は多いだろう。

携帯料金、少しでも節約しませんか~?

もう安くしているよ~という人も、

少しでもお金の流れを変える活動(このスマホに替える)に参加しませんか~?

3大キャリアの中にも格安携帯があるけども、そこも利益は大会社へ吸い込まれる。

 

*代理店になりたい人にはそういうお話もします。

でも、まずは、
あなたのスマホ代を安くしながら、

お金の流れを変えませんか?

 

一体いくらなのか? 関心ある人は見てね。

 

スマホの機種を替える必要はありません。

*番号そのままで乗り換えできます。

*登録手続きも、SIM入れ替えも、データの移動も、お手伝いします。

 

ペンギンモバイルの社団はこちら

jlba.club

詳しい話を聴きたいという人は、こちらをクリックしてください。

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2月11日は日本の誕生日

日本にはいくつかの祝日がある。

全部知っている?

内閣府には以下の祝日が掲載されている。

元日1月1日 
成人の日1月8日 
建国記念の日2月11日 
天皇誕生日2月23日
春分の日3月20日
昭和の日4月29日
憲法記念日5月3日
子どもの日5月5日
山の日7月15日
海の日8月11日
敬老の日9月16日
秋分の日9月23日
スポーツの日10月14日
文化の日11月3日
勤労感謝の日11月23日

内閣府のサイトに書いてある。

www8.cao.go.jp

 

昔と比べて祝日は増えている。それは喜ばしいことである。
日本人は働き過ぎだといわれて久しいし。
もっとも職業によっては休みなど関係ない人もいるので、単純には言えないけれども、それでも少なくとも子どもたちにとっては、休みが多いのは嬉しいことに違いない。

さて、今日は2月11日、建国記念の日である。
つい最近、下に紹介するようなfacebook投稿を見つけたので、ここで紹介したい。

長文だけど、最後まで読んでね。

書いた人は元教員かな?

[http://:title]

 

建国記念の日を前に】
(昨年投稿したものを若干修正しました)

もうすぐ2月11日、我が国「日本」の建国記念の日を迎えます。世界の中でも最古の国「日本」。ご存じのとおり、教科書には日本の建国については書かれていませんので、自分の国の建国すら知らない人が少なくありません。こんな国は日本くらいではないでしょうか。

私が高学年の担任をしていたら祝日前にこれくらいは子供たちに話すだろうということを想定して作成しました。全部ではないにしても、ぜひ、我が国の建国について子供たちにお話してあげてください。

(ここから)
皆さん、明日(話す日によって変わる)、2月11日はお休みですが、なんの日がご存知ですか。

建国記念の日」と言います。みんなで言ってみよう。(サンハイ、「建国記念の日!」)

では、何の日なんでしょうか。

明日はただのお休みではなく、国民の祝日と言って、日本にとって特別な日なので国の法律でお休みとなっています。日本には「国民の祝日」が16ありますが、その中でもかなり重要な祝日です。なぜなら、日本の誕生日だからです。

法律には、2月11日は建国記念の日、「建国をしのび、国を愛する心を養う」日と書いてあります。

簡単に言えば、日本の誕生日なのですが、要は国ができた当時のことを懐かしく思い、その当時からずっと今までこの国を受け継いで来てくださったご先祖様に心から感謝し、これからも自分たちが自分の国を大事にしますって考える日、なんです。

となると、当然ですが、私たちは自分の国である日本がいつ頃、どのようにできたのか、どのように始まったのかを知らなければ当時のことを懐かしむことすらできません。

では、日本がいつ建国されたのか。また、どのように始まったのか。皆さんはご存知ですか。(わかりませんよね)残念ながら、今の大人でもそう答えられる人はいません。「ただの休みだー」なんて喜ぶだけでなく、これを機に学んでおきましょう。

誕生日と言えば、年齢。それぞれの国ができてから何年経っているのか、いくつか紹介します。

みんなもよく知っているアメリカ。アメリカは1776年に建国したので今年で246年(歳)、フランスは1789年で233年(歳)、隣の中国は1949年で73年(歳)、ロシアは1991年で31年(歳)。
ちょっとびっくりしませんか。みんなもよく知っている日本と関係のある国、意外と若いんです。

では、日本はどうでしょうか。日本はなんと…(ここでためながら)2(ニー)、6(ロク),8(ハチ)…2(二)、なんと、日本という国が始まってから2682年、なんと日本は今度の2月11日で2682歳になるのです。これは世界でトップです。一番長寿の国なんです。といっても、それ以上にもっともっと昔から日本は続いていたんですけどね。

では、ここで、もう一度、現代から遡りますが、今度は違った角度から遡ります。

ここに一枚の写真があります。奈良県橿原神宮前駅にある看板です。

この奈良県の橿原が日本のはじまりの地なのです。

では、なぜ、この橿原が「日本のはじまり」の地なのか。それは初代神武天皇が建国の詔をあげた場所が橿原だったからです。

現在の天皇陛下は第126代の天皇です。(すごい数ですよね)126代目がいるってことは、当然、その前がいらっしゃるってことです。

では、どこまでさかのぼれるかっていうと、125、124、123…3、2となり、初代の神武天皇までさかのぼれます。

この初代神武天皇が、『日本書紀』という歴史書によると、「日本を家族のような国にしよう」と橿原の地で建国の詔をあげたとあり、だから、橿原が日本のはじまりの地なのです。
ちなみに、建国の詔の内容は次の通りです。

「私が志を立てて日向(現在の九州)を出発してから6年が過ぎた。辺境の地はまだ平定されてはいないけれども、中央の大和国は穏やかに治まっている。そこで、国民のため、いよいよ都造りに取りかかろうと思う。まず、この国を授けてくださった神々の徳にこたえ、先祖が育まれた正しい心を広めていこう。その後で、四方の国々を束ねて都を造り、一つの家族のように仲良く暮らしていける国にしようではないか。」

その日本書紀という書物の中に、紀元前660年1月1日に即位したとあり、その即位日を今の暦に直した日付が2月11日であり、そこを建国記念の日としようとなったわけです。

では、突然、初代の神武天皇があらわれたのかというと、もちろん、違います。

なんと、神武天皇の前は、神様のお話になってしまうのです。神様のお話があって、そこから神武天皇につながって現代まで…。(この神話がまた面白いんです、ってまた、今度ね)日本のように神話から未だに現代までつながっている国は日本だけなんです。(すごいよね…)

今の話を皆さんは普通にへえ~、そうなんだ~って普通に聞いてしまうかもしれませんが、実は日本の建国ってのは、世界でも珍しいケースなんです。今、現存する世界に約200ある国のうち、最も古い国、それが日本なのです。日本の次に古いイギリスでさえ、1000年近く差があります。これだけでもすごいと思うのですが、さらにすごいのは、一つの王朝が(王様って言えばわかりやすいかな)、日本では天皇陛下に当たりますが、途中で途切れることなく、代々、変わらずに続いている。もうこのことだけでも言葉がありません。

さあ、ここで、祝日の名称に注目しましょう。
建国記念日」ではなく、「建国記念の日」、となっていますね。この「の」が入っているか入っていないかで意味が全く変わって来ます。
これも他国と比べて見ましょう。
他の国は独立記念日解放記念日革命記念日統一記念日など、「の」が入っていません。それは、他の国には、どこかの国から独立するか革命などによって成立する場合が多く、「この日に建国された」と日付が歴史的事実としてはっきりしています。

ところが、日本は他国とは異なります。古代からずっとずっとずーっと続いて来たため、始まりがはっきりわかりません。どこまで遡っても日本なんです。他の国に倒されたり、どこかの国に支配されたりという革命がなかったんです。

だから、『日本書紀』という歴史書を根拠に、初代神武天皇が橿原の地で天皇に即位したところを始まりにしようとし、この日を建国記念の日としたのです。「の」が入っているのは、他国のように日付ははっきりとわからない、でも、建国したという事実はある、ということで、「の」が入っています。

ところで、この祝日、元々は祝祭日といい、建国記念の日紀元節という名称でした。明治5年に決まり、「紀元節」という祝祭日として祝って来ました。

もともとは、日本の初代である神武天皇が即位された紀元前660年2月11日を「紀元節」として、明治5年から昭和23年まで祝祭日だったのですが、戦後、アメリカが天皇陛下と国民のつながりを恐れ、祝祭日を廃止しました。

しかし、日本人も黙っていません。なんと、国民の8割以上は、この紀元節を復活させたいと考えていたようです。その動きが高まり、建国を記念するための祝日を設けることとなり、「紀元節」から「建国記念の日」と名前を変え、昭和41年に国民の祝日として認められ、翌年の昭和42年から今に続いています。

さあ、時を戻そう(ここだけペコパ風に)。

日本の建国を記念する2月11日、日本の国民はお祝いしているでしょうか。

他国では、この建国を記念する日を盛大に祝っています。

例えばアメリカでは、イギリスによって統治されていた時代から1776年に独立宣言を行った日を「独立記念日」とし、毎年7月4日に花火が打ち上げられるなど特に盛大に祝福を行っています。

日本ではどうか。

国民の祝日という法律には、こう書いてあります。

「国民こぞって」と。

国民全員でお祝いしましょうという意味です。

2月11日の「建国記念の日」には、日本各地で民間団体による行事が開かれています。その中でも大きなイベントのひとつが、建国記念の日奉祝パレード。東京の神宮外苑銀杏並木通りから原宿や表参道をめぐり、明治神宮の前まで盛大なパレードが繰り広げられます。首都圏の大学吹奏楽団による演奏や、ブラスバンド、チアリーディング、御輿などが登場し、華やかに建国記念の日を祝います。

しかし、残念ながらそれも一部です。政府主催のお祝いもありません。政府は何を考えているのでしょうね。国民もただのお休みにしか思っていない人がほとんどです。これでいいのでしょうか。

日本という国は、世界トップクラスの「先進国・経済大国」であり、天皇を中心とした世界最古の生きた歴史と伝統を同時に持ち合わすことから、諸外国の歴史家の間でも「奇跡のような国」と言われています。それを知らないのは日本人だけです。

世界の国々は、時の権力者が度重なる権力闘争によって、国家の崩壊と建国を繰り返してきましたから、大陸として古くから存在していても、日本のように国家転覆することもなく、現代まで天皇を中心にした国家という、ズーッと続く国というのは他にありません。
そのことだけを考えても、そのような国に生まれてきたことに、感謝の念が自然と湧いてきます。

なにも特別なことをしなくてもいいと思うのです。
自分の国のことくらい、しっかりと知っておき、いざという時には、海外の人に説明できるくらいにはなっておいて欲しいなあと。

各地でやっている特別な行事に参加しなくても、日本の歴史にまつわる本を読んで見たり、親子で日本の歴史に関する博物館に出かけてみたりするのもお祝いの一つだと思います。

ある神社では日本がお米の国であることから、特製おむすびを配布してお祝いしているところもあります。

自分の誕生日だって、家族の誕生日だって祝うのに、その私たちが生かされている自国の建国を祝わないって、おかしくないですか。

別に、大きな声で「ハッピーバースデー!」って言えって話ではないんです。

ただ、その意味を知り、「日本に生まれてよかったなあ」とか「日本の国って他国と違う成り立ちがあるんだなあ」など、1年に1回でもいいから思いをはせてほしい、そんなふうに思います。
明日、2月11日は、自分なりのお祝いの仕方で過ごしてみませんか。
それが、これまで日本を繋いできてくださったご先祖様への感謝にもなるし、これからの日本にも繋がっていくのではないかと思うのです。
これからの日本がこの先も日本であり続けられるかどうかは、私たち一人ひとりにかかっています。

えっ、先生はどうやって祝うですかって。
さすがに蠟燭を2682本買って火をつけるわけにはいかないので、数字の「2」「6」「8」「2」を買ってきてケーキにさして火をつけます。

 

確かに私が子どものころは、祖父母は紀元節と言っていた記憶がある。

すべての祝日には玄関に国旗も掲揚していた。

でも、いつの頃からか紀元節とは言わなくなり、国旗を掲げる家もほとんどなくなった。

実は実家を片付けたときに国旗を持ってきている。
もう今日は終わってしまったから、来年は掲げてみよう。
(昨日までに書いて公開する予定だったのに、遅くなってしまった。もう紀元節はおわってしまう。せめて今夜12時までには公開したい)

日本国、お誕生日、おめでとう!!