お米ってどこで、どんなふうに作られるか?を知らない子(大人)が増えているという話を、聞いたか読んだかしたことがある。
そりゃあ、田んぼなんてまともに見たことがない都会の子どもだったら、あり得るなあと思った。
田んぼを日常的に見ている田舎に住む子どもだって、いや大人だって、どうやって自分が食べるお米になるのかを知らない可能性がある。
かく言う私自身も、しっかりと分かっていたかというと、はなはだ心許ない。
昔私が小学生の頃は、農繁休暇というものがあった。
春と秋の農繁期(田植えや稲刈りの時期)には、2日か3日か忘れたが、学校が休みになった。子どものいる農家では、その時に合わせて田植えや稲刈りをしていた。
私の家は商家だったので、田畑は所有していなかった。
私が小さい頃は、歩くと30分以上かかるほどの山の方に田んぼを借りていて、田植えや稲刈りを手伝った記憶がうっすらとある。往復するのに自転車に乗せてもらえることが嬉しかった覚えがある。
高学年になると、その田んぼは返してしまったようで、田植えや稲刈りは近所の農家のお手伝いに行っていた。稲刈りの初日に鎌で手を切ってしまって、あとは何もできずにいたという情けない思い出がある。
それでも、家族総出や隣近所までが一緒になってやる農作業は楽しかった。
それがいつの頃からか農繁休暇は無くなり、田植えや稲刈りもたまたま日曜日にやれば子どもも手伝うが、平日にやったりすれば手伝うこともなくなり、農家の子どもでも農作業からは遠のいてしまったように思う。
私自身も稲作自体まったくわかっていないことを、バケツ稲作をすることでハッキリした。
籾を蒔いて苗にし、田植えをし、途中で草取りをし、水の管理をし、稲刈りをする。
その順番は理解していても、実際に体験したのは、大昔の(ほんの少しの)田植えと稲刈りのみ。嫁ぎ先が農家であるにも関わらず、病気持ちの身では単に見ているだけだった。
前置きが長くなったが、そんな私が「バケツ稲作」に挑戦することとなった。
友人の淳子さんが何でも富士山麓で育った稲の苗を分けてくれるという。
品種名を聞くこともなく、苗を分けてもらった。その数30数株(ポット)。とても一人で栽培できる量ではない。
そこで、Facebookでほしい人はいませんか?と呼び掛けたところ、4名が手を挙げてくれたので数株ずつ旅立っていった。
それでも残った10数株を、4つのバケツに植えて、6本は農家民宿時遊庵のコシヒカリの田んぼの端っこに植えてみた。
まずは、バケツに田んぼの土を入れた。
時遊庵のお隣から休耕田の土を分けてもらった。(優しい人で良かった)
孫も一緒に作業。土遊びに大喜び。
娘の家の駐車場にバケツを運んで、苗を植えて、水を張った。(6月13日)
6月19日 少し伸びた感じ。
6月29日 分結というのか?株が少し大きくなった。
7月7日 日照りが続いて、気付いたら水がなくなっていた。危ない、危ない。
7月15日 このバケツのが一番育ちが良いような。
この頃は見るたびに伸びているので、毎日のように写真を撮っていた。
7月25日 孫と一緒に撮影した。
毎日朝晩水をやらないと直ぐに乾いてしまった。
この時私は見逃したが、穂が出かけている。
7月29日 ついに出穂を確認。出穂は「しゅっすい」と読むことを初めて知った。
7月29日 背丈も伸びた。
8月9日 穂が垂れて来た。
8月26日 実ってきた感じがあって感動した。台風のために家の近くに移動させた。
9月4日 孫の背丈より伸びた。
写真がこれ以上入らないので、後編へ続く~